女性税理士事務所ブログ

平成23年9月23日より、下記に事務所を移転いたします。

 

 FP講師や税理士専門学校での相続税講師歴20余年のキャリアを生かし、本来業務とともにFP、相続対策、事業継承、資産対策、遺言書作成などの業務を強化し、特殊事案については各専門家とも連携して、顧問先様のあらゆるニーズにお応えすべく業務に邁進する所存です。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

中都志子税理士事務所

税理士 中都志子

新住所

〒540-0035

大阪市中央区釣鐘町1-5-9 PARSビル3F

 「相続を放棄するよ。財産はいらないから。」・・・・・・・・・。

  でも、 気をつけて下さい。債務や納税の負担は、免れないかも・・・・。

 「相続の放棄」は、正式な手続きをとらなければ、法的に放棄したことにはならず、相続人として義務だけ負担しなければならなくなります。

 財産を取得せず、口頭で「放棄した」と言えば、相続人としての義務はないと思わないで下さいね。

 

 任意後見と法定後見の最大の違いは、「契約」によるものかどうかに大きな違いがある。法定後見は、すでに判断能力が不十分となってしまった人に利用されるのに対して、任意後見制度は本人の判断能力があるうちから、契約によって、将来、支援してくれる人とその支援内容をあらかじめ定めておくことができる制度である。契約は公正証書により、公正証書作成後、任意後見契約の登記がなされることとなる。自己決定権の尊重という観点から、当然のことながら、家庭裁判所が本人の利益のために特に必要と認めたとき以外は、法定後見より任意後見が優先する。法定後見制度の場合、要支援者を被補助人、被保佐人、成年被後見人に区分し、同意権、取消権、代理権などについてもそれぞれ法律で定められている。任意後見制度の場合は、判断能力があるうちに契約を締結するわけであるから、成年後見人となってもらう人の選択から、支援を受ける内容まで、本人自身で決定することができる。そして、法定後見の場合は、家庭裁判所が必要と認めたときに限り、成年後見人等の職務を監督する成年後見監督人等が選任されるのに対して、任意後見の開始にあたっては、必ず成年後見監督人が選任される。

 この任意後見制度において最も大きな課題とされるのは、本人と任意後見受任者との信頼関係ではないだろうか。任意後見人の義務は、身上監護については、本人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(任意後見6条)、そして財産管理については、最善の注意をもって職務を行う義務(任意後見7条④民644条)がある。このような任意後見人としての義務を、誠意をもって遂行してくれるであろうと納得してもらえるような信頼関係の確保がまず重要である。
そして、次に重要な点は、その契約する委任事務と代理権の範囲である。これらは、当然本人の自由裁量による。なお、委任事務は法律行為を対象としており、介護労働のような行為は対象とならない。そして、その際、判断能力が衰えるまでの間の契約(見守り契約及び財産管理契約)および判断能力が衰えてからの契約(任意後見契約)を締結するのが望ましいと思われる。
 任意後見人が、本人からの絶大な信頼をよいことにして、契約内容で対応できないような事態が生じた場合に法定後見に移行することもせず、越権行為に及んだり、規定報酬や立替金以外の金品を受領したり、遺贈として金品を受け取ることは、決して許されるものではない。そういった様々なところを監督し、家庭裁判所へ定期的に報告する義務が任意後見監督人に求められることとなる。任意後見監督人は、任意後見人と異なり、家庭裁判所が選任する。契約の中であらかじめ定めることはできないが、希望があればその旨を表明しておくことができる。裁判所は、後見人と監督人の馴れ合いにより監督が形骸化することのないようにその希望に拘束されず、本人の意見も考慮した上で後見監督人を選任する。
 今後、この任意後見制度が広く利用されるようになるためには、この制度を周知させることはもちろんのことであるが、やはりネットワークを駆使して、依頼者のために必要な情報を集め、適正な決断ができ、財産管理や収支計画、ライフプランが作成でき、依頼者の信頼に充分応えられるような成年後見人等の育成が重要であろう。 そして、もちろん成年後見監督人も重要である。家庭裁判所の目は、成年後見監督人を通じて機能することとなるからである。したがって、この任意後見制度は、成年後見監督人がその職務を怠らず遂行している、ということも大前提として適正な制度の維持が図れるものと考える。任意後見監督人は、複数でも、また法人をも選任できる。従って、任意後見人が親族の場合は一定の専門家が、法人や団体の職員の場合はその法人や団体が選任されることとなろう。
いずれにしても信頼できる数多くの成年後見を目の当りにすることによって、判断能力があるうちに自己決定権を行使して任意後見契約を締結しようという委任者が増加するのではないだろうか。

 よって、成年後見制度の普及には、誠実で信頼できる成年後見人と成年後見監督人の確保が最重要課題であるといえるのではないだろうか。

 2000年4月1日からスタートした成年後見制度、間もなく10年が経とうとしているが、税理士の成年後見への関わりは、弁護士や司法書士さらには行政書士に比し、非常に少ないと聞いている。そこで、税理士が行う成年後見人等の意義について考えてみることとした。

 我が国では従来、障害者等に対して普通に接するということができていなかったように感じているのは私だけであろうか。10年以上前に、事故で骨折して入院した際、ある脳性マヒの車椅子に乗った少年と接する機会があった。そのときに実感したのが、決して障害を持って生きることは特殊なことではないということである。健常者でも苦手な動作や出来ないことはある。お互いに、それぞれが出来ないことを助け合って社会生活を営んでいけばよいのであって、特別な同情や必要以上の干渉は無用なのである。今後高齢化に伴い急増する高齢者にとっても同じことが当てはまる。

 成年後見制度は、本人の残存能力の活用による自己決定権の尊重、ノーマライゼーション、そして本人の保護を基本理念とするものである。
ノーマライゼーションとは、障害のある者も家族や地域で、健常者とともに通常の生活を送ることができる社会を作ろうとする考え方で、以前に私が感じたことは、まさにこの「ノーマライゼーション」であると、初めてこの言葉を耳にしたときは感銘を受けた。
従来の禁治産・準禁産制度は、その立法目的が、本人の財産保護や経済取引の安全確保にあり、戸籍記載などにより身分的悪影響を及ぼし、差別感を生み、さらに自己決定権の尊重は希薄であったといえる。そういった種々の点を考慮して、2000年4月に制定されたこの成年後見制度であるが、今後急速な高齢化の進展に伴い、何らかの保護を必要とする高齢者等が急増すると推測される我が国で、適正な運用ということがますます重要となってくるであろう。しかし、この制度の主役ともいえる成年被後見人等がどんどん増加すると予測される一方、その人たちを支える成年後見人の数は十分なのであろうか。
現在、全国の税理士会員数は約7万名以上であり、その拠点は全国各地に存在する。そして、税理士法第1条に税理士の使命として掲げられている理念、また近畿税理士会会則40条41条42条にある「信頼にこたえる」「常に深い教養の保持と高い品性の陶冶に努める」「信用失墜行為の禁止」などの諸則は、成年後見人等として活動するときにも、もちろん遵守すべきことと合致する。
 成年後見人等の職務には、財産管理と身上監護がある。そしてその職務を遂行するにあたっては、本人の意思を尊重し(意思尊重義務)、本人の心身の状況及び生活の状況に配慮しなければならない(身上配慮義務)と定められている。
税理士は、上記の財産管理事務を行う適任者といえるのではないだろうか。財産目録の作成あるいは確認から始まって、法定後見の場合、本人の財産に関するすべての法律行為、例えば、預貯金の管理、収入や支出の把握とその管理、居住用以外の不動産の売買などを本人に代わって行うことができる。また、本人自ら行った法律行為で本人にとって不利益なものについては、原則として取消権を行使することができる。
そして、財産管理事務内容を対象機関に報告する義務もある。これらの職務の内容は、税理士にとっては、まさに得意分野とするところである。
他方、身上監護の職務については、どうであろうか。
 税理士が、税の専門家としてクライアントと接するのは、会計や税務申告に関してだけであろうか。堅固な信頼関係が結ばれたクライアントからとってみれば、一種の「よろずやさん」的なところがなきにしもあらずと考える。とにかく、税理士業務以外の種々の相談を受けることもある。そのときの対応を「身上監護」に当てはめてみてはどうだろうか。相手のことを親身に考えて、介護サービスやその他福祉サービスあるいは福祉施設入所などの契約を締結する。これらは、個人の日常生活等に関わるもので、社会生活を送る人間を支える行為であり、高度な医学知識等は求められていない。サービス内容の比較や手続などに関する情報収集や知識を得るための努力は、クライアントからの相談によきアドバイスを提供するために情報を収集する努力にも類似する。 
 成年後見制度を単にビジネスチャンスと捉えてはならないと思う。税理士ではなく一個人として社会に貢献することの意義に加え、この制度を通じて社会に貢献することは、税理士にとって社会における存在意義とその知名度と社会的地位をさらに向上させる結果にもつながるものと考える。